大好きな街、何でも手に入る街、私が大人になった街。でも、今はここじゃない。
そんな今の気持ちをきちんと整理しておきたくて、一時帰国で感じたことをまとめました。
一年ぶりの東京。
当初予定していた留学期間を経て、一年ぶりの東京。
久しぶりに家族に会えること、友達と観光ができること、日本食が食べられること、すべてが夢のようで、楽しみで、前日は眠れなかった。
行きの飛行機でも、こんなに眠れなかったのは、翌日に発熱したバルト三国旅行以来。(今回は発熱していません。)
一年ぶりの東京は、色々変わっていたけれど、目まぐるしい都心の変化に追いつけないのは今に始まったことではなかったので、特別驚くこともなかった。
東京駅で、スーツに身を包んで怖い顔ですれ違う人々。立ち止まって手帳を開いたり、電話をしながら歩いたり、東京は世界のどの街よりもあわただしい場所なのかもしれない。
約一年前、私は確かに、この景色の一部だった。
ずっと怖い顔をしていたからか、25歳、人生で初めて出来たのは眉間のシワだった。
手帳とiPadと携帯電話を同時に広げ、一目もはばからず、道端でも必死に電話しながら頭を下げていた。
東京で得たスキル
瞬時に損得勘定をする力。
人混みで誰にもぶつからずに早歩きする力。
満員電車で立って寝る力。
東京は、眉間のシワだけでなく、私にたくさんの技術を身につけさせた。
イヤな気持ちや気まずい空気でも、つくり笑顔を崩さずにいられるようになっていた。
「感情を抑え、笑顔で仕事を回すこと」それがこの世界で、受けるダメージをなるべく少なく生きていくためのたった一つの方法だと思っていた。
スペインに来てからもう何度も、悲しい時や怒っている時にどうして微笑むの?どうして言葉にしないの?と言われた。
ちがうんです、できないんです。
私の感情はどこへいったのですか?
欲しいものはなんでも手に入った。
2,000円のランチも、記念日のフレンチフルコースも、ハイアットリージェンシーも、「行こう」と誘われればすぐに行けた。ブランド物の財布、年齢に見合った時計。
今思えば、それらは私が本当に欲しかったものなのか、よくわからない。
強いストレスと同調圧力の中で、お金を使うことでしか、自分を満たせなかったようにも思う。
東京には、お金さえあれば手に入るものが多い。でも反対に、お金では手に入らないものを自分が求めていたことに、長い間見て見ぬふりをしてきていたのだ、と今回の一時帰国で気づいた。
サラリーマンにも、ロマンがある。夢がある。
大小あれど、企業の中で結果を残し、出世し、高給取りになることを目標にしたり、事業で世界に大きな影響を与えたり。
私はそれに憧れていた一人なので、今日も道端の花壇にパソコンを広げて眉間にシワを寄せる彼らを否定することは、一生ないと思う。
ただ、私には、そこで戦いぬくほどの忍耐と強さがなかったのだ。
誕生日とクリスマスとお正月があるおかげで、大好きだった12月は、決算月の売り上げ追求がきつくていつの間にか一番嫌いになっていた。
クリスマスデザインに変えたネイルを見てふと、本場ドイツのクリスマスマーケットも、一生見られずに終えるのだと、本気で泣いた。
仕事に疲れて、寝不足が続いて、結果が出なくて、うまくいかなくて、私は何度も駅のホームで泣いた。会社のトイレで、パソコンの前で、数えきれないほど泣いた。
終わりのない暗いトンネルに入って、もうこのまま、これ以外の景色をみることなく一生を終えるのだと本気で思っていた。
だから今、こうして自分の人生を楽しみ、健康的に生きている自分が、信じられない。
こんなに幸せでいいはずない。
不健康で、不幸せなのが、私のアイデンティティだったのだ。
それすらも手放すのが怖い。いまだに私の心は、この街に縛られているのだ。
下りの満員電車、営業先、勤務先付近、なんてことないと思った。今回も、思い出のひとつとして友達に紹介したくて立ち寄っただけ。
それでも想像以上に心は落ち込み、電車の窓に反射した自分の顔は、また昔の、可愛くない自分に戻っている気がした。
この街にいる限り、私は「不幸」でいなければいけないのだ。
私は、それ以外の「東京」を知らない。
過激な言い方をすれば、私は一度この街で死に、今は楽しいボーナスステージを神様にいただいているようなものだと思った。
だから、こんなに幸せで満たされているのだ。
「いや違う、これは自分のお金で、努力で得たものだ。」という気持ちもあるけど、それにしてはあまりに上手くいきすぎていて現実味がない。
そして、過去の自分から地続きで今の自分に繋がっていると考えるよりも、新しく生まれ変わったと考えた方が、自分の中で整理がつく。
「日本で転職しないの?」
「東京戻ってこないの?」とよく聞かれるけれど、今回の一時帰国で気づいた。
「できない」のだ。「したくない」以前に。
「東京」が怖い。
一週間の滞在、旅行なら楽しめる。
でもずっと住むのは…今の私には難しいかもしれない。
時間が経ち、傷が癒え、すべてが良い思い出、と笑えるようになりますように。
私の今の、ドタバタでギリギリで自由で美しい毎日が、続いていきますように。
次に帰るときには、もう少し、軽やかな心で歩ければ。
コメント