スペイン留学で感じた差別について。私は「する側」でもあったということ

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スペイン留学
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はな

2019年よりスペイン・バレンシア在住。英語・スペイン語話者。
社会人留学、語学学習ときどき旅行についてまとめています。趣味は美術館・教会巡り、ポストカード・古紙幣収集。

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2020年のコロナウイルスの流行で、外国に住んでいるアジア人が「コロナウイルス!」と声をかけられるなど、差別的な扱いを受けている状況がSNSなどで拡散されています。

また、「コロナウイルスのせいで旅行に行けなくなった。中国人が嫌いになった」という日本人のSNS投稿を見かけました。

スペインに留学に来て約1年が経過し、「差別」というものを色んな意味で体験してきたので、「欧州に住む一人の日本人」という目線で個人の見解を述べたいと思います。

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差別される側?差別する側?

今回この記事を書こうと思ったのは、SNS上で色んな議論を見ながら、自分の中で消化しきれていなかった一つの感情を、はっきり文字に起こすいい機会だと感じたからです。

結論から言うと、私はヨーロッパ、スペインに一年間アジア人として生活し、「差別される側」でもあり、「差別する側」でもありました。

自分でも複雑でうまく表現できるかわかりませんが、一年かけて訪れた自分の心情の変化を、いくつかのテーマに沿ってまとめます。

コロナウイルスによる差別

まず、コロナウイルスの流行によって、色んなところで差別の報告を聞くたびに、「私もウイルス扱いされるのか?」と考えていましたが、今のところ、全く影響はありません。

欧州の感染者がまだ少ないことや、スペインでは医療費が無料のため、みんなそこまで深く考えていないのかな、と思いました。

クラスメイトの中国人の友達は、「電車でくしゃみをしたらみんなに見られた」と話していました。

アジア人という理由で攻撃してくる人は、今のところあまりいないようです。

道端の「差別」はある

日本で「差別」というと、アジア人というだけで法外な値段を吹っ掛けられたり、道端で侮辱的な声を掛けられたりするシーンを想像する方が多いと思います。

私の住んでいる街、バレンシアは大きくもなく小さくもない街なので、適度に多国籍です。

そのため、別にアジア人が歩いていることも全く珍しくないです。

先日友達の男の子と一緒に歩いていたところ、通りすがりの中年夫婦らしき人たちに「中国人は~」と何かを言われました。

友達はスペイン語ネイティブなので、「差別主義者!」と咄嗟に叫んでいました。(私はぼーっとしていたので聞き取れなかった)

アジア人=中国人、さらにはそれに対してわざわざ言及してくる人も、少数ですが、いないわけではありません。

不快、というか怖い

侮辱をされたことはありませんが、「ニーハオ」と声をかけられたことは何回もあります。

これを差別ととるか挨拶ととるかは人それぞれですが、私は不快です

まず、普通に怖いです。

知らない人(全員男性)に道端でいきなり声をかけられるのは恐怖です。

それが挨拶であっても、笑顔であっても、「追いかけられたらどうしよう」と不安になります。

そして、たぶん私がどう見てもスペイン人の見た目であれば彼らは「Hola(オラ)」とは声をかけないだろうということがわかっているから、結果的にこれは差別に当たるんだろうと思います。

以前は一人一人に「No!こんにちは」と言い返していましたが、今は無視しています。そのまま会話が続いても、困るので…。

アジア人への差別意識

とはいえ、アジア人への差別意識は私の住むバレンシアではそこまで強くないです。

「ニーハオ」と声をかけている人たちの多くは、それを差別と思わずにやっていると思います。

スペインという国自体、アラビア文化の影響を受けたり、南米から移住者が多かったり、比較的寛容で開かれた国であることも関係しているのかもしれません。

「中国人は働き者」「日本人は礼儀正しい」などの“ポジティブ”なステレオタイプで語られることも多いです。

差別するほど、人に関心がないのかもしれません。スペインは日本に比べて個人主義が非常に進んでいる国だと思います。

「私」の差別意識

人から差別を受けることは、留学前から覚悟をしていました。

7年前のフランスで子どもに「つり目ポーズ」をされたり、ヨーロッパ旅行中にはアジア人女性というだけで子どものような扱いを何度か受けてきたからです。

しかし、私は「差別される側」なだけではなく、差別する側」でもあることに、留学して初めて気づきました。

私はスペインに留学に来るまで26年間ずっと日本に住んでいました

大学には様々な国籍、バックグラウンドの人がいましたが、それでも「外国人」はどこか「映画や雑誌の中の存在」でしかありませんでした。

だから初めてスペインで深く付き合う友達ができて、この人たちも同じ人間なんだ」と本当の意味で認識するまでに、自分でも驚くほど時間がかかりました。

同じような感情、同じような悩み

どういうことかと言うと、留学当初、金髪で青い目をしたロシア人の友達が「生理痛が辛い」というのを聞いて、「彼女にも生理痛があるんだ!」と咄嗟に思ってしまいました。

二日酔いで頭を抱えるフランス人を見て、失恋してカフェで号泣するモロッコ人を見て、この人たちも、私と同じような苦悩、感情があるんだと思いました。

私は、「差別される側」の自分のイメージはなんども頭に浮かべてきたけど、自分が差別する側になるということを、全く想定していませんでした。

これが差別にあたるのか?と言えば、直接的にはそうではないかもしれません。

しかし、それまで相手を「生身の一人の人間」として認識していなかったのかもしれない、と思い、自分にショックを受けました。

今では悩み事を何でも相談できる友達ができ、楽しい時は一緒にはしゃいで、辛い時は一緒に泣いて、同じステージで、同じ目線で関係を持てるようになりました。

これは、海外に住むという経験をしていなかったら、もしかしたら得られなかったのかもしれません。それくらい、私の想像力は乏しかったのです

環境要因で生まれる差別?

反対に、こちらで過ごすうちに芽生えた「差別心」も実は、あります。

ヨーロッパでは、旅行中にスリに遭った!という話をよく聞きますよね。

頻繁に旅行をしたり現地に住んだりしていると、「怪しい」というセンサーが働き、どの人がスリなのか、少しずつわかるようになります。(確実にスリ!と思って咄嗟に回避したこともあります)

行動、振る舞い、服装、ルックス、色んな要素が合わさって「スリ」を見分けますが、そうするうちに、道ですれ違う特定の人種や見た目の人に対して、無意識に必要以上の警戒心を持っている自分に気づきました。

「貧しい人」が必ずしも「犯罪者」なわけではないのに、恐怖心を感じて遠くを歩いたり、声をかけられても無視してしまったり、「今のは差別だったかもしれない」と、後から自分で自己嫌悪に陥ることがあります。

差別されるのはイヤなくせに、自分は相手を見た目で判断するなんて、本当に自分勝手です。

人と人との付き合いにフォーカスする

正直、この記事は批判されるかもしれないと思いながら書きました。

さきほど、ステレオタイプの話をしましたが、もちろん「怠け者の中国人」もいるし、「礼儀正しくない日本人」もいます。

結局は、人なのです。いい人もいれば、悪い人もいるのです。

当たり前のことですが、人と人との付き合いにフォーカスする。

見た目じゃなくて、心を見る。

そんな当然のことを、当然のようにできるようになりたいです。

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